障がいがある子の子育てを頑張るお父さん・お母さんに向けた「メッセージ」
今回は、特別支援学校の養護教諭をされていた田中紀子先生から、メッセージをいただきました。
田中先生は、保健室で生徒を温かく迎えてくださるとともに、障害がある子の「性」について向き合ってきてくださいました。
田中先生の「性」教育は、体の発達に伴うだけの「性」教育ではなく、体と心を一緒に育てる「性」教育 = 「こころとからだの学習」です。
ご退職後も、障害がある方のお母さん方などに向けて、一緒に「性」について考えてくださっています。「私、ボクシング始めちゃったの!」と、お茶目な所もあります( *´艸`)
では・・
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今、想う事(*^^*)
私が時折行く喫茶店の窓は、シマトネリコの木が春に吹く暴風に揺さぶられています。
シマトネリコは以前、結構ブームの木だったと思います。一連のブームが去ったあと私の父が入居している施設の部屋から枯れる寸前(瀕死かな?)のその植木鉢を回収しました。
水分が抜けきった、その細い枝の節の少し上から思い切ってカットして外の寒さを防ぎ、水やりをしながら「もうすぐ春が来るから」と話しかけながら様子を見ていました。
そしたら「なんということでしょうか!」のフレーズそのままに2ミリほどの太さの枝が根元から伸び始め、節々にはシマトネリコ特有の葉っぱをきちんとつけてきているのです。
触れれば折れてしまうようなそのニ、三本の枝がとても愛おしく素敵なものにみえます。
私の中でシマトネリコは、丈夫で、頑丈ですぐ大きくなる「木」だったはずが、こんなにもか細い枝からスタートしていることや危機を乗り越え再生してくれるエネルギーを蓄えていてくれたことがとても嬉しかったです。
時間が少しかかるし、「待つ事」を求められるのですが、不思議なことにそのことに関わることのできた「自分」がなんだか上出来に見えてきたりしました。
「相模原の事件」の裁判が始まりました。
なぜ「障がい」を利益の有無や社会の邪魔な存在として考えるのか?この人だけでなく、社会の中
に「排除の思想」があることを悲しく辛く、憤りを感じます。
自分自身を少しでも「まんざらでもない自分」としてとらえることができれば「当事者意識」にも敏感な感性で臨めるはずです。
効率とスピードを求められ、キャッシュレス社会も便利なものの、全ての人間にとっての満足感ってどこにあるかとふと立ち止まって考えてしまいます。
「人間の幸福度」ってゆっくり・ゆったりとした時間や自分の存在を認められる中でこそ実感が芽生えるはずです。
私自身は、身近な人々と共に「こころとからだの学習」を通じて社会を語り、ホットするようなこと・ものを追い求めていきたい一年にしたいと「シマトネリコ」さんに改めて教えてもらいました。
田中紀子(たなかのりこ)
この「メッセージ」は続きますよ・・きっと(^-^)
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